アズサてやんday

8月8日(衝動と悪夢アップデート)

衝動的に整理整頓をしたくなって、1日かけて本棚から引き出しからiPhone内のフォルダから、必要な物以外を捨ててカテゴリー別に整頓した。自分の持ち物を1から10まできっちり把握出来ていると精神的にとても安定する。

 

最近の悪夢はバリエーション豊富になってきて、目覚めの悪さが段違いにパワーアップした。今までは死(これから自分が消えて無になる感覚)をリアルに感じる夢がほとんどで、それらを "悪夢" と呼んでいたけれど、近頃はもう単純に「不快」なだけの夢が増えてきた。昨晩は "口から出した自分の精液を友達の食パンに載せて食べさせてあげる" シーンが印象的で、当たり前だけど私は女だから精液は出ないし、ましてや物に載せて人に食べさせる様な性癖は微塵も持ち合わせていないのだけど、だから「不快」で "悪夢" であった。確かに参考になりそうなゾンビ映画やミステリーはしょっちゅう観ているが、そこから抽出したと言うには余りにも濃度が濃いので困ってしまう。自分の脳が産み落とす映像に、ドン引きする毎朝である。

六畳間にて

YouTubeで "坂口安吾" を検索したら、ラジオか何かで喋っている音声があって、想像通りの神経質な口調に笑ってしまった。理屈論を書く人間はこういう喋り方になるらしい。私もこのまま六畳間に引きこもって屁理屈を並べ立てていたら、こんな口になるのだろうか。嫌だから、なるべくボンヤリしておこう。今年は坂口安吾が死んでから、ちょうど65年目である。

 

遂に書店のバイト面接を受けてきた。今まで落ちたバイトと辞めたバイトと、全部省いて残すは書店だけである。好きな本と作家くらいは聞かれると踏んでいたけれど、「自己紹介をお願いします」から始まり、その他質問責めが凄まじかった。周りからどんな人だと言われるか・高校では何をしていたか・今は何をしているのか・将来はどうなりたいのか…。「友達に "正常と異常に片足ずつ突っ込んでるね" って言われました。好きな本は坂口安吾綾辻行人です。高校では演劇をやっていました。今は舞台とかライブハウスとかに出ています。2歳から日舞をやってます。将来は家で絵と文を書いていたい。」一貫性が無いにも程がある。何をやりたいのか分からないし、何が好きなのかも分からない。結果、店長さんの感想は「色んな本を読むんだねえ」だけであった。私は完全に自分を見失ってしまって、自分は一体何をやって生きていくのかと独り悶々としながらも、やっぱり帰る場所は、今のところ実家の六畳間しか無いのである。21歳。

8月4日(公衆電話と恋愛)

郊外にある駅のホームで、単体で立ち尽くす公衆電話に出くわした。道路沿いの公衆電話はボックスに守られているし、都内の公衆電話は何台かでまとめて壁に並べられている。それが公衆電話単体で、何にも守られずに、ホームの真ん中に立っているのだ。田舎者は根性があると言うけれど、こんな所にまで表れるとは。便利な都会でぬくぬく群れを成す連中には到底真似出来ない芸当である。そして、いちいちそういう理屈付けをする自分に白眼を剥く。

 

「恋愛」と言うけれど、「恋する」と「愛する」は別問題である。「恋」とは "自分にアレコレをして欲しい・こうなって欲しい" という自分の欲望であって、対して「愛」は相手の為に尽くす行動だ。ゆえに「恋する」は誰にでも出来うるけれど、「愛する」は元から出来るものでは無い。「恋」をしたからと言って必ずしも相手を「愛する」ことが出来るとは限らないのである。欲望を欲望の形のまま伝えることが「愛」だと勘違いしている人間をストーカーとか変態と呼ぶ。「愛する」とはもっと手の込んだ事である。自分の欲望を無視してでも相手に尽くそうとする、ある意味自己犠牲であって、尚且つ本人は自己犠牲などとは微塵も考えていない。恐ろしい奴らです。私は「恋する」は出来たけれど「愛する」はこれから先も出来そうにない。自分の欲望しか生まない愚かな人間にはどうにもならない事なのである。

8月2日(ラジオと卒論)

タクシーに乗りこむとラジオが掛かっていた。おっさん声のDJが、「便箋12枚に渡ってお便りをいただきました」と言ったように聴こえたけれど、ラジオの音質が悪過ぎるから聴き間違えたのかも知れない。

 

「大学の卒論を人に発注したりコピペしたりすると大問題になる」と知って、意外だった。大学入試の小論文なんて、事前に作ったものを覚えて、それを試験会場で書いて提出するのに、卒論は1から10まで自分でやらないといけないのか。同級生は大学入試用に、ひと通り書いた文を現国の先生に添削してもらい、先生と相談しながら最終的な文を完成させて、それを必至に暗記していた。殆どの大学入試の小論文は事前にテーマを渡されて、推敲する猶予が設けられる。そうやって完成したものを評価して入学させた生徒に、「卒論は自分の言葉で書かないと卒業させません」というのは疑問である。"「入学時はゆっくり先生と推敲しまくった文を出してOKだけど」卒論はそうは行かないよ" とはどう言う理屈なのだろうか。卒論で個人の研究をオリジナルの文章で書いて欲しいのは当たり前である。なら入試もそれで良いではないか。その場でテーマを渡して、どれだけ文章を構築出来るかを評価したら良いのではないか。何故、卒論と同じように "ある程度の期間をかけて練られた文" を評価したがるのか。大学が何を考えているのかサッパリ分からないので、つくづく「大学行かなくて良かった…」と思っている。

7月31日(ヒット曲とイヤホンケーブル)

最近のJ-POPの有名どころはダイソーに行けば網羅出来る。どの店舗でも、あいみょんやヒゲダンやハナミズキ等、爆発的にヒットした曲の電子音バージョンみたいなのが流れているのだ。どの曲もアーティスト本人が聴いたら卒倒するようなアレンジばかりで面白い。King gnuの「白日」なんて、音が多いし複雑な曲なのに、間延びした電子音でベッタベタにされていた。どれも必ず聴いたことのある有名な曲ばかりだけれど、どこに許可を取ってアレンジしているのだろうか。永遠の謎である。

 

慌てて電車を降りる際に、耳から伸びるイヤホンのケーブルを引っ掛けて、ビニール内の導線を引きちぎった事がある。大抵リュックを抱えて座っているので、リュックの持ち手と自分の手とケーブルが絡まってしまうのだ。ビニールだけになったケーブルをビヨンビヨンさせながら、いつかお金持ちになったらワイヤレスイヤホンにすると決意したけれど、最近は駅で「ワイヤレスイヤホンの落とし物に注意」のアナウンスが流れている。ケーブルが無かったら無かったで直ぐに落とす未来が見えたので、見栄を張らずにこれからもケーブルイヤホンを使おうと思う。

7月29日(顎関節症とSNS)

今月初めから顎が縦に指2本分までしか開かないので、ちょうど20歳の歯科検診もあるし、何年かぶりに歯医者に行ってきた。欠伸をする度に顎の付け根が痛むし、肉などの立体的な物は歯と歯の隙間から押し込まないと食べられないから結構不便なのである。歯医者ならどうにかしてくれるだろうと思っていたのに「顎これしか開かないんですね〜」と言われ、あとは虫歯が5本見つかっただけだった。私は今後どうやってアメリカンドックを食べれば良いのだろうか。

 

先日遂にtwitterを辞めた。人が人に物事を共有して評価しあう様子を見るのに耐えられなくなったのだ。最近はブログの更新情報しかツイートしていなかったし、あっても無くても変わらないなら無理してやらなくても良いと思った。今時、最新の情報はニュースサイトで見られるし、災害情報が直ぐに反映される便利なアプリもある。わざわざ雑音の多いSNSにこだわる必要は無いのである。ついでに誰ひとり訪れないホームページも削除して、ネットの拠点をこのブログとオンラインショップのみに絞った。令和の時代にインスタもtwitterもやっていない20歳女子は絶滅危惧種なので、これからは人類皆んなに崇め奉ってもらいたい。

7月27日(ロボットとサバイバルゲーム)

人間とロボットの違いは "排出の有無" だと思われる。人は空気を吸うのを我慢していたら死んでしまうけれど、吐くのを我慢しても死ぬ。絶食でも死ぬが、排泄をしなくても死ぬ。比べてロボットは、電力の供給が止まったり、情報が更新されなくなったら動かないが、何か常に排出しないといけない物はない。人間とロボットの明確な違いは "摂取と排泄で循環しているかどうか" である。

 

ずっとゲーム配信ばかり観ているので自分もゲームをやりたくなった。ゾンビと戦うサバイバルオンラインゲームである。PCは無いから取り敢えずスマホでインストールしてみた。レビューを覗くと「チュートリアルに30分はかかる」とあったので、それなら攻略を見なくても大丈夫だろうと鷹を括っていたら、全然そんな事は無かった。チュートリアル序盤で手に入れた弾を無駄に発砲してしまうので、チュートリアル最後の大物に全く歯が立たない。やっとこさオンラインサーバーに入れたと思ったら、方向音痴が邪魔をして行きたい場所へ行けない。一応、右上に小さなマップがあるものの、自分が方向を変えると矢印の向きも変わってしまうので、普段地図を回している人間には難易度が高すぎる。序盤で完全に詰んでしまったので、広場のベンチで1人、他のプレイヤー達を眺めていた。自分は世紀末の世界では生き残れないと確信した。

7月25日(BGMと推敲)

昨日からずっと絵を描いていた。ここ1年の作業用BGMは、アニメ「四畳半神話体系」一択だったけれど、全12話を10周以上したしセリフも大体覚えてしまったので、今回からはYouTubeのゲーム配信にすることにした。作業中は、音楽よりも喋り声の方が集中できる。感覚的に絵と音楽は似ているけれど、言葉と絵は正反対だからだと思う。膨大な量のセリフに聴き入ろうが、ゾンビを倒す銃声が飛び交おうが、描いている絵に何ら影響は無い。

 

人間は文字を読む際、無意識に脳内で音読しているらしい。故に、わかりやすい文章とは "声に出して読みやすい文" である。例えば「日曜日=晴れていた」ことを書きたい時、「日曜日は晴れた日でした」でも成立しているし意味も伝わるけれど、声に出した時 "日曜日(ビ)・晴れた日(ヒ)" が被っていて気持ち悪いし、発音しにくい。晴れていたことを表す言葉は「晴れだった/良い天気だった/お出掛け日和/晴天」等々、山ほどある。その中から、文章のリズムを崩さない言葉を選択する過程を "推敲" と言う。わかりやすい文章を書く為には、音読しやすいリズムを見つける感性と、それに合う言葉を選択出来るだけのボキャブラリーが必要なのである。

7月23日(ペトリコールと精算機)

雨が降った時に地面から上がってくる匂いを "ペトリコール" と言う。小学校時代、初夏の放課後、体操着袋と水筒を抱えて階段を駆け下りると、まだ15時過ぎなのに空は暗く、蒸した梅雨の始まりの空気が昇降口に立ち込めていた。嗚呼今日からずっと雨なのだと、陰鬱な気持ちで外履きに履き替えた。生まれて初めてのペトリコールの記憶である。

 

殆どのスーパーは支払いが自動精算機になってしまった。確かに、お金の受け渡しが1番時間の無駄な気がするし、そこを自動化するのはとても良いと思うけれど、お店ごとに機械の仕様が違うのはどうにかならないのだろうか。お札を入れる場所・向き、お釣りが出る場所、レシートが出る場所、それぞれの配置が機械ごとにバラバラ過ぎて、我々若者ですら一瞬戸惑ってしまう。お釣りを1番下から受け取った後に1番上からレシートが出てきた時なんて、開発者を呼び出して理由を尋ねたくなる。何故、国内共通である "自動販売機" と同じ配置にしないのか。自動販売機と同様に、右端に小銭口、その左隣にお札(勿論、横向きで短い辺を差し込む仕様)、その下にお釣りの受け皿とレシート出口にすれば、日本人は誰でも自然に使えるはずである。私が老人になって、精算機を前にしてあたふたする前に、変わって欲しいものだ。

7月21日(カステラと不本意)

カステラの底に付いている紙を剥がすのが苦手だ。普通に剥がしてしまったらカステラの底面も一緒に剥がれてしまう。捨ててしまうのは勿体ない。これは、"葡萄は皮と中身の間が1番栄養価が高い" とか、"ミカンは皮との間の白い繊維が大事" だとかと同じ類のように見える。カステラは、紙と一緒に剥がれた部分が1番美味しいのかもしれない。フォークで削り取って食べてみたら、カステラ上部の茶色い部分と同じ味がした。

 

最後の砦である倉庫バイトの面接に行ってきた。数年前にもやったことがあるけれど、社会的地位が最低ランクの人間がやる仕事である。一般的にバイトを募集している職種には全て落ちた(風俗は受けてない)ので、もうこれくらいしか私の社会的需要は無いと登録会に行ったら、ここでも面接があった。倉庫でぬいぐるみを仕分けるだけの仕事をさせるのに、面接でふるいをかけるのだ。死んだ目をした若い事務員さんから志望動機を聞かれ、保険証を見せて、面接シートと誓約書にサインして顔写真まで撮られて、「採用の場合のみ1週間以内にご連絡します」だ。これで不採用だったら、隅から隅までの個人情報を差し出して、お返しに自分の社会的需要の無さを再確認させられただけである。ひどく不本意な時間を過ごした気がしたが、面接とは元来そう言うものだったなと思い出した。未だ連絡は来ていない。

7月19日(小指とプライド)

手を開いて指を揃えた状態で小指だけを曲げる練習をしている。耳を動かしたり、足の指をグーチョキパーしたりも練習して出来るようになったから、手の小指くらい動かせるようになると思う。因みに、生まれつき肩甲骨をパタパタできたり、左右の眉毛を別々に動かせたりもするけれど、人生で役に立った事はない。

 

プライドは "経験年数" に比例する。3年生だから・10年続けてきたからetc. 「これだけ続けてきたから自信を持って胸を張りたい」が殆どのプライドの正体である。年数を積めば自然と能力も伴ってくるからまだ良いけれど、厄介なのは "地位" からくるプライドだ。先輩・先生・課長・社長・議員、これらは地位ではなく単なる "役割" で、たまたま教える・統率をとる・指示を出す役割なだけであって、必ずしも「地位が高い=偉い」わけではない。「じゃあその役割を果たせる能力と経験年数にプライドを持っちゃいけないのか」。日本を見渡して自分より優れた人間なんて五万といるし、10年やってるって言ったって同じことを30年続けてる人も50年続けている人も居るだろう。経験年数からのプライドも、地位からくるプライドも曖昧なもので、そんなものを振りかざしたって何にもならない。持つべきものは "プロ意識" である。プライドに責任は伴わないが、プロには責任が伴う。履き違えたら、いけない。プライドを持って仕事をするんじゃない、「プロ意識を持って」やるべきである。

7月17日(キャロット人間と飽き性)

用意する物は、カッター・水・脱脂綿・テープ・ニンジンの種・手鏡である。まずは天井に5センチ程の切れ込みを十字に入れる。部屋はなるべく日当たりが良い方が好ましい。切れ込みから10センチの高さまで掘り起こし、10センチ四方の立方体の凹み作る。そこに十分な水を染み込ませた脱脂綿を詰め込み、最後にニンジンの種を載せて、薄い脱脂綿とテープで固定する。脱脂綿が乾かないようにこまめに水を染み込ませる。発芽したら、ちょうど見上げて自分の顔が映るように、芽の隣に手鏡を固定する。毎日欠かさず手鏡を覗き込めば、一年程度で緑色をした円錐形の角が生え始め、やがて壁紙を突き破ってあなたと同じ顔をした、オレンジ色の子供が顔を出す。これが "キャロット人間" である。

 

目まぐるしく変わるサイトデザインを見れば分かるように、私は病的な飽き性である。好きな色は毎日違うし、スマホゲームは1ヶ月も続かない。しかも、今までの履歴を完全に消去しないと気が済まないので、その度に全取っ替え・全消去する始末である。200時間プレイして作り上げたゲームのワールドを一瞬で消してしまうし、新年に新しく購入した手帳も半年で買い替えてしまう。"自分がやってきた事・物を積み上げていく" ということが出来ないのだ。ちなみに、毎日食事をする、お風呂に入る、同じ場所に出掛ける等々にも完全に飽きてしまった。これらは記憶を抹消するのも困難だし、かと言って飽きたからやらないという訳にはいかない。日々を生きていくということは大事業なのである。

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「箱男(安部公房)」を読んだ

安部公房の「箱男」を読んだ。久しぶりの読書(正しくは、久しぶりの坂口安吾離れ)である。安部公房を初めて読んだのは、高校の教科書に載っていた「赤い繭」だ。余りにも衝撃的過ぎて授業中に延々と読み返していた。どの作品も基本一人称で書かれており、戯曲チックなので多少言葉が難しくてもスラスラ読める。悪夢に微睡んでいるような独特な表現ばかりなので、フィクション小説では安部公房が1番好きだ。で、「箱男」である。

本を読んで初めての感覚だった。「 "主人公が思っている事" を "作者が書いたもの" を私が読んでいる」 という当たり前の構図が、半分くらい読んだ所で空中分解し始めて、最終的には "誰が書いたものを読んでいたのか" があやふやになってしまう。"小説を書く/読む" ことの根底をひっくり返しかねない作品だった。カット毎のつなぎ目も見事で、例えるなら "考え事しながら寝ていたら何処からが夢だったか分からない" 感覚。今現在目の前で起きている事について思考していたのに、自分でも気付かないうちに夢の領域に入ってしまう、その傾斜が自然過ぎて恐ろしかった。とにかく、とても良い "フィクション" でした。

7月13日(くの字とサメ)

よくカーブミラーのオレンジ色のポールに10センチ×20センチ大の短冊型で 「⬆︎注意」と書いてあるプレートが付けてある。あれがどういう訳か、見かける各所で "くの字" に曲がっているのである。プレートの真ん中で釘付けされているから強風で勝手に曲がったのか、曲げて廻っている阿呆が居るのかは分からないけれど、いい加減上下の端と端を釘で固定するべきである。

 

水槽で魚を集めるアプリゲームをインストールした。ランダムで出てくるキラキラした卵を孵化させて、気に入った魚を水槽に放つのだ。AR機能もあって、水槽の様子をカメラを通して現実世界で見られる。これで六畳間をホホジロザメでギチギチに出来ると思ったら、どうやら水槽に入れられる魚の数には上限があるらしい。しかも求めていたホホジロザメは居ないようなのである。クジラやウツボシュモクザメは居て、ホホジロザメが居ないというのは理解出来ない。可愛い熱帯魚を片っ端から捕食していくホホジロザメを六畳間で観察できると楽しみにしていたのに、残念だ。孵化させたキラキラ卵からは次々とカジキが生まれて、あっという間に水槽はカジキだらけになってしまった。全然楽しくないので、アンインストールした。

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