「ゴースト・シャーク(2013)」を観た【サメ映画レビュー】

白状すると、今回新たに観たのは「ゴースト・シャーク」じゃないのである。先日レビューした「MEG ザ・モンスター」の続編、「MEG ザ・モンスターズ2」を、わざわざ映画館まで足を運んで、観た。無論、レビューをしたためるつもりで、至極真面目に鑑賞した。売店で買ったアイスコーヒーを握り締め、数人の客しかいないレイトショーの座席に沈み込んで、はち切れそうな期待を胸に、画面を凝視していた、が、何故これについてレビューしないのか。忌憚なく言えば、つまり、あまり面白くなかったのである。

 

私はサメ映画が好きなので、イコール、サメが好きなのですが、これは例えば「ゾンビが好きだからゾンビ映画が好き」「アクションが好きだからアクション映画が好き」という感覚と同じで、ゾンビ、アクション、サメ、あくまで主役は彼らであり、その他、ストーリー展開や人間関係の成り行きは、主役を更に魅力的に演出するための布石に過ぎない。

私は、あらゆる技と力によって神輿の上に担がれたアイドル俳優の如く、圧倒的に光り輝くサメが観たいのである。「MEG ザ・モンスター」は正しく、サメが際限なく輝き続ける素晴らしいサメ映画だったので、続編も期待満々で映画館へ飛び込んだわけなのだが、実際「MEG ザ・モンスターズ2」を観た感想としては、「これはサメ映画じゃなく、SFヒューマンドラマである」。

全編を通して、人間同士のいざこざが多過ぎるのである。研究所とスポンサーの関係、国家の思惑、一攫千金を狙う敵組織。確かに、強大なサメと互角に戦える技術を獲得するまでには大勢の人間と多額の金が必要であり、その過程で対立や争いが生まれるのは当たり前、結果、それぞれの人間の葛藤についてフォーカスされるのは、映画としてごく自然な流れである。しかし、サメ映画として観るならば、やはり、サメ対人間、その純粋な構造を望まずにはいられない。私がレイトショーの座席に沈み込むに至るまでのモチベーションの、およそ9割は「純粋なサメ映画を観るぞ」であった。

純粋なる、良いサメ映画が観たい。私が知る限り最も「純粋な」サメ映画を観て、この不完全燃焼な欲求に片をつけようと思った。選ばれたのが、「ゴースト・シャーク」である。初めて観たのは、確か2年前だった。

 

「ゴースト・シャーク」、人間によって無惨に殺されたサメが、実体の無い「幽霊サメ」となって人を喰ってまわる、サメの復讐劇の話である。実体が無いために、物理攻撃が通用しない。さらには幽霊という性質上、水がある場所なら例えどんな場所でも出現できる、という特殊能力を持っている。サメの出現は、パーティー会場のプールから始まり、排水管の亀裂、水の入ったバケツ、浴槽、最終的には人の体内から、厳密には、当人が飲み込んだコップ1杯分の水から出現し、唐竹割りの如く人体を真っ二つに引きちぎったりもする。あらゆる映画に登場するモンスターたちの中でも、相当強い部類だと思われる。

 

サメ映画の主役はサメであり、人間はあくまでも、サメに振り回される哀れなエキストラに過ぎない。その感覚が、一般的な映画ファンと呼ばれる人たちと、サメ映画ファンとの違いである。我々サメ映画ファンは、例えエキストラが最悪だろうと、サメがしっかり輝いてさえいれば、それに数人の選ばれし人間が対抗してさえいれば、「最高だ」と断言出来るのである。

もうしばらくは、無双するサメ、その場凌ぎであたふたする人間たち、という構図の、純粋なるサメ映画に浸っていたい。まだ出会っていない、強烈な輝きを放つサメが、きっと何処かに潜んでいるはずである。

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「MEG ザ・モンスター(2018)」を観た【サメ映画レビュー】

TOHOシネマズの前を通りかかると、大口を開けたサメの横顔が大々的に印刷された巨大パネルがあった。水中から、ほとんど海面と平行になるように飛び出してくるサメの頭部を、真横から撮ったような構図である。パネルの前に立てば、今にもサメに喰いつかれそうな写真が撮れるだろう。パネルの右下には「MEG ザ・モンスター2」「8.25 Fri.」とある。思わず感嘆のため息が漏れた。私は、サメ映画を映画館で見たことが無い。早急に前作を履修し、この「2」の公開に備えなければならない。

 

巨大であること、それだけで大抵の生物はモンスター化せざるを得ないだろうが、陸上とは違って、海中の巨大生物に対する恐怖は段違いである。我々人間がそもそも呼吸すら出来ない場所で平然と生活し、未だ全貌を把握しきれないほどに複雑な独自の生態系を構築して、そんな彼らのほとんどが、人間と相対することなく一生を終える。妖怪の類と同じである。何かしらの不可抗力が働かない限りは姿を見ることすら無いだろうが、しかし、ひょんなきっかけと偶然により、次の瞬間には、目の前で大口を開いているかも知れない。今作では、深海1万メートルに生息する巨大サメ「メガロドン」であり、「ひょんなきっかけと偶然」とは、深海研究のための潜水艦によって発生した、わずかな水流の変化であった。

見どころは何と言っても、アトラクション性溢れる船たちである。操縦席が全面ガラス張りという完全見た目重視の潜水艦や、戦艦と見紛うほどに巨大な研究船、競艇に出場出来そうなくらいスピードが出る救難ボートなど、近未来な乗り物がこれでもかと登場する。巨大サメに向かって潜水艦から銃弾を打ち込む様子は、もはや宇宙戦争のような派手さがある。

これだけカッコいい(ほとんど戦闘機のような)船を大量に所有しているにも関わらず、中盤以降のサメとの直接対決は生身の人間というのも面白い。研究者や救難隊員がウェットスーツに武器だけを握りしめ、次々と海中へ飛び込んで行く。何人もの研究者がサメに喰われ、飲み込まれ、船が転覆し、潜水艦は爆発して、2時間弱の大乱闘の末、最後は主人公自ら、サメの眼球に素手で槍を突き刺し、勝利する。

サメに対して「研究対象」として扱うには手に負えないことが分かり、大義も名分もかなぐり捨てて、最終的には純粋な「人間vsサメ」の構図になる展開が非常に良かった。途中からサメ映画であることを忘れて、登場人物たちの葛藤に深く共感する場面もあった。「海の真ん中で常にサメに狙われ続ける」というパニック映画としての非日常感、ホラーのように驚かせる巧みな演出の数々、全編を通して、映画3本分くらいのアトラクション性があった。14インチの画面ではなく、出来れば映画館で観たい作品である。スクリーンで観れば、それこそ、ジェットコースターのようなスリルと興奮が味わえるだろう。2の公開が待ち遠しい。

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「グレート・ホワイト(2021)」を観た【サメ映画レビュー】

驚愕である。夕飯時に、何気なくテレビを点けると、ちょうど「世界まる見え!」がやっていて、例の、誰が撮影したのか分からない海外のハプニング映像を延々眺めていく中で、ボートで遊ぶカップルだか家族だかのビデオがあり、何が起こるのかと思えば、一瞬の前触れなしに、突然、海面からボートへ、巨大なホホジロサメが牙を剥いて飛び上がった。それは、CGを疑うほどに完璧な「サメ映画」のワンシーンであり、サメの口内の赤さ、船上で上がる悲鳴、全てがあるべき場所に揃った、完全なる「サメの襲撃シーン」であった。圧巻、私は、口をアングリ開けたまま、茫然自失の有り様だった。

驚愕したのである。どこかの国の沖合で、今この瞬間にも、サメが人を襲っているかも知れない、という事実に。そして、その襲撃の様子が、数多のサメ映画とは比べ物にならないほどに圧巻である、という現実を、すっかり忘れていた自分自身に。

良質なサメ映画を観なければ、と思った。サメが歩いたり、喋ったりして、人間が慌てふためく様子は確かに面白いが、今一度、サメという生物の恐怖について、純粋に向き合うべきだと思った。サメ映画鑑賞に毎月数時間を費やしておきながら、たった数十秒、現実のサメを目にしただけでショックを受けているのは、あまりに切ない。私はふと、あるサメ映画ファンが口にした、「良いサメ映画と言えば、『グレート・ホワイト』は観た?」というセリフを思い出した。これは、啓示かも知れない。

 

結論から言ってしまえば、目が覚めるほどの良作だった。「サメ映画」ではない、「映画」として、素晴らしい作品であった。当たり障りのないストーリーを極限まで魅せる演出、登場人物それぞれの感情の機微、当たり前に良い画質、良いカメラワーク。そして、何より素晴らしかったのは、役者陣の演技である。

ストーリーはシンプルで、「沈没した小型飛行機から脱出した5人の男女が、巨大ホホジロサメがいる海を漂流する」、それだけである。本編のほとんどが、直径2メートルほどの小さなゴムボートで漂流しているだけの映像なのだが、常にサメの脅威に晒されながら陸地を目指し続ける、極限の緊張状態、体力の消耗、徐々に空気が抜けていくボート、それらが5人の精神をジリジリと蝕んでいく過程が、非常に生々しい。全編通して流れる、静かな、しかし着実に死が近づいて来る不安感は、一歩間違えれば発狂してしまいそうな、頭を振り払いたくなるような恐怖である。

静かな恐怖と、それに侵される5人がいるからこそ、局所局所でのサメの襲撃シーンは圧巻であった。静寂から、一気に悲鳴が上がるまでの急旋回具合は、確かに「パニック映画」としてのアトラクション性があった。私は、90分の間、何度悲鳴を上げたか分からない。5人の悲鳴と、私の悲鳴とが響き、そして、この映画の最後には、サメの断末魔が海中深くまで響き渡った。

 

登場人物5人のうち、生き残ったのは2人だけである。3人はなぜ命を落としたのか、2人は、なぜ生き残れたのか、あるいは、誰に生かされたのか。必然的に5人を襲うことになったサメは、果たして、どんな最期を迎えるのか。是非、本編を見届けてほしい。

この映画は、偶然にも鉢合わせてしまった5人とサメが、「必ず生き残る」という、それぞれの揺るぎない本能のために戦い抜いた記録である。

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「サメデター(2021)」を観た【サメ映画レビュー】

※「プレデター」との繋がりやオマージュ等は一切ない。英題は「Jaws of Los Angeles(ロサンゼルスのサメ)」のため、邦題をつける際に個性を出そうとした結果の「サメデター」だと思われる。

 

様々な意味で、サメ映画らしからぬサメ映画である。サメ映画とは普通、サメをいかにモンスター化するか、というのが最重要項であり、製作陣はサメのビジュアルや人を襲う描写をインパクトあるものにすべく試行錯誤し、その辺りに最大限注力してしまったがために、一般的な映画で重要視されるストーリーやらセリフやらが希薄になってしまう、所謂「サメの神格化」、サメさえ良ければ全て良し的な風潮が、作品からもサメ映画ファンからも感じられる共通の雰囲気なのだが、この「サメデター」という映画は、サメについて、「モンスター化してやろう」という意識が、まるで無い。海にいる「完全自然のサメ」を描いた、非常に稀有なサメ映画である。サメに過度なキャラクター性を与えていない、という1点においては、サメ映画の原点「ジョーズ」に最も近いと言えるかもしれない。もっとも、最後まで観れば、「ジョーズ」と比較すら出来ないということが判明するのだけど。

 

サメにこれと言った特徴が無いのならストーリーが奇抜なのか、と言われれば、全然そんなことは無く、「ビーチでサメに襲われる被害が多発したからサメを退治しよう」という、サメ映画の基本型をそのまま書き出したような、シンプル過ぎる話である。しかし、この「被害が多発」という箇所がポイントで、なぜ複数のサメたちが突然、一斉に人を襲うようになったのか、これが、この映画全体を通してのテーマとなっている。

登場するサメは、例えば水族館で見るような、テレビ番組で見るような、私たちが「サメ」と聞いて想像するサメと同じ、また、自然界で実際に生きているだろうサメと同じ「サメ」を指す。サメの暴走は、サメだけが特別にモンスターだからではなく、生き物の突然変異のひとつとして、自然界で起こった限りなく現実的な現象として描かれている。足が生えたり、砂を泳いだり、喋ったり飛んだりするサメばかり観ているサメ映画ファン的には、まさしく目から鱗なのだが、よく考えてみれば、サメとは本来、単なる自然生物の一種に過ぎない。

 

サメが突然変異した原因として「悪党遺伝子」なる嘘くさい単語が登場したような気もするが、重要でないので割愛する。全編を通してサメを「自然」として描くことに相当な力を入れているらしく、実際に海中で撮られた野生のサメが泳ぐ資料映像を20分近く観させられた。さらに、全く無意味なイルカショーの場面や、不必要にズームされたカモメなど、とにかく人間以外の生き物をとことん大事にしているようである。ハッキリ言って、サメ映画としても、単なる映画としても、終始全くつまらないのだが、「サメは自然生物」という微々たる感激だけを抱えて堪え忍び、そうして90分堪えた結果が、夢オチ、であった。

映画の最初から最後まで、全部が主人公の夢であった。90分間ちまちまと積み上げてきた映像の全てを投げ飛ばして、終わった。90分間の堪え忍びが、本当に、ただ堪え忍んだだけ、ということになった。危うくモニターを叩き割りかけた。

サメに関わらず、パニック映画において、夢オチだけはあってはならない。非現実的なのは重々承知でも夢を見てしまう、そういう葛藤を抱えているのが視聴者であって、映画は、その夢を一時の現実として見せてくれるものであって欲しいと、切に願う。

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「ランドシャーク / 丘ジョーズの逆襲(2022)」を観た【サメ映画レビュー】

「陸サメ」と呼ばれるジャンルである。サメが歩く、もしくは土の中を泳ぐ映画はこれまでにも数本観てきたが、この映画は「どうやってサメが陸を移動するのか」という、陸サメ映画の最も重要視すべきポイントが一貫してあやふや、という、陸サメ映画あるまじき作品であった。

 

映画は砂浜を泳ぐサメの視点から始まる。砂浜で寝転ぶ水着美女、怪しげなBGM、砂に潜り美女に迫り行くサメの視点、と、この時点で大抵の視聴者はピンとくるだろう、「砂浜を泳ぐなら『ビーチシャーク』と同じか」。無論、私も同感であった。恐らくは砂、あるいは土の中を泳ぐサメが、バカンスを楽しむ人間達を襲う、ありきたりな映画なのだろう、しかし、このささやかな落胆は、話が進むに連れじわじわと、まるで不本意な方向で裏切られることになる。

この映画に登場するサメは、博士の研究によって生み出された、人工的な生物兵器である。博士によれば、サメに何らかの処置を施し、20分間だけ陸地で活動出来るようになった、らしい。陸地に適応する殺人サメを作り、売り出して儲けよう、という悪事である。ある日、研究所から脱走した3匹のサメは、地上を移動し、付近の住人を次々と襲うようになる。つまり、海から這い上がり、地上を彷徨い、人を見つけて襲い、また海に戻る、という一連のミッションを、20分以内で済ませている訳である。相当なハードスケジュールと思われる。

 

作中で、博士は何度も「陸サメの素晴らしさ」的プレゼンをしてくれるのだが、毎度「適応、活動、襲う」といった曖昧な表現ばかりで、じゃあ実際にどうやってサメが歩くのか、何処を泳いで移動するのか、といった具体的な説明が一切無いために、1時間以上観ていても、いまいちサメの生態が不明である。サメの移動をハッキリ映すシーンは無い、BGMと効果音のみの描写である。あるサメの目撃者は「ヒレでぴょんぴょん跳ねて」という証言をしていたから、2枚のヒレで全体重を支えているのか、とも想像した。まるでテケテケではないか。

 

結局、陸サメはどうやって移動していたのか。ラスト15分で初めて、サメが走っている様子を引きのカメラで見られるのだが、あろうことか、サメは、腹ばいになって、猛スピードで、地面を滑っていた。ペンギンがお腹で氷を滑って行くのと同じ要領で、砂利道をズルズル滑って移動していた。生態が不明なのではない、そもそも最初から、生態など設定付けられていなかったのである。タイトルに「ランド」と付けるには、余りにもお粗末な陸サメ映画であった。

ちなみにラストでは、サメの血清を自身に打ち込んだ博士が「サメ人間」に変身したりもするのだが、蛇足が過ぎるので省略する。自分がサメになるよりも先に、どうかサメに2本の足を。あの移動方法では、サメのお腹は擦れてボロボロになってしまうだろう。

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「BAD CGI SHARKS / 電脳鮫(2021)」を観た【サメ映画レビュー】

※以前、フランケンジョーズについて語った際、冒頭に「中盤以降はサメが歩き出すので注意」と注釈を入れたが、本作もこれに倣わざるをえない。この映画のサメは、確かにサメであるが、我々が一般的に想像する自然本来のサメでは無く、驚くべきことに中盤以降は言葉を喋り出すのである。

 

タイトルに何故CGや電脳と付いているかは、登場するサメの姿を見れば一目瞭然である。サメはサメでも、血の通った動物では無い。「サメ映画のクソCGで作られたサメ」が本作の主役である。この作品は、「サメ映画の脚本が現実化してしまい、クソCGのサメが現実世界で牙を剥く」という、「クソサメ映画」そのものを題材とした、メタ要素満載、異色のサメ映画なのである。

 

主人公は、子供時代に「いつか一緒にサメ映画を撮ろう」と約束したアラサーの兄弟2人。ちゃらんぽらんで遂に実家から勘当された兄と、仕事をクビになったばかりの弟である。突然路頭に迷った2人は、ある晩、宙に浮かぶCGのサメと出会す。夜の街を逃げ惑いながら、2人は、かつて自分達が書いた「クソサメ映画」の脚本が不思議な魔法によって現実化していること、自分達を追い掛けるサメは、その脚本から出てきた「クソCGのサメ」である事を知る。結末の書かれていない脚本を、2人は無事に終わらせることが出来るだろうか。

ストーリーだけ書き出してみると、なんだかスピルバーグが撮ってくれそうな、ロマンチックな香りがしてくるが、実際そんなことは無い。そもそも2人が書いた脚本が「クソ」という前提なので、サメの登場シーンは随分のんびりしているし、人が襲われるシーンも無ければ、あるのは不必要な言葉の応酬と意味不明なジョーク。そして1時間半ある本編の内、画面のおよそ8割は真夜中の街で、CGサメから2人が走って逃げる、ただそれだけの映像が延々と続いている。

 

そんな本作の一推しポイントは、CGサメが2人を襲う理由である。CGサメは途中、オフィスのパソコンを飲み込み、自らをインターネットに接続することで知能を獲得し、言葉を話せるようになるのだが、そこで兄弟2人、及び人間全体に対する意見を述べる。

「貴様らはサメを怪物と思い込んでいる」

「貴様の脚本は我々サメ(について)の古臭い固定観念を強めるだけだ」

動物であるサメに「怪物」というレッテルを貼り、人を襲うモンスターとして描くサメ映画に対して、また、それをエンターテイメントとして消費する人間に対しての、サメ側の怒りである。「自分を怪物として産み落とした作者への復讐」という、明確な目的があるのである。人を襲う理由をサメが自ら明言するサメ映画など、前代未聞であろう。私も、サメ側の一意見を聴くことが出来て、感無量である。

 

ちなみに、私は上記あらゆる箇所で「クソ」を乱用しているが、誓って私の言葉では無く、実際に作中で登場するセリフである。サメと初めて対峙した兄弟は、「まるでクソサメ映画のCGみたいだ」と漏らしている。温いカット割りやCGのクオリティ、明らかに絵の具に見える血飛沫に至るまで、隅々まで抜かりなく「クソサメ映画」であることに忠実である。

 

クソサメ映画を最大限にリスペクトした本作、 「BAD CGI SHARKS / 電脳鮫」のエンドロールは、次のような言葉で締められている。

「こんな馬鹿共ができるなら俺たちにもできる、
そう思わせてくれた最高のクソ映画達に感謝を」

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「スノーシャーク(2020)」を観た【サメ映画レビュー】

ようやくAmazonプライム会員になったので、数カ月ぶりにプライムビデオを開いた。以前利用したのは初回無料の1ヶ月間だけであり、その間に観たい映画やドラマをひと通り観てしまったため、本契約まで至らなかったのである。

「毎月自動引き落とし」の恐ろしさに敬遠しがちだったサブスクを、何故今更になって契約する気になったのか、これには、GYAOという無料動画配信サービスの終了が起因する。私は自宅で観る映画の全て、特にサメ映画の全てを、GYAOに頼っていた。GYAOが配信する範囲内でのみ、サメ映画を享受していた。その限られた範囲が消滅すれば、今後一切、サメ映画どころか、映画鑑賞という趣味のフィールドが、映画館唯一に限定されてしまう。これまで通り自宅で気軽に映画を眺めるには、これは、そろそろ、腹を括るしかない。私はサメ映画を愛している。

 

「スノーシャーク」は2020年公開の映画であり、私がこれまで観てきたサメ映画の中でも大分新しい方である。しかし、サメ映画というジャンルの魅力に、ひとつ、「いつ誰が作ったものでも変わらない」というのがあって、「スノーシャーク」は2020年が舞台のはずだが、それにしては随分と荒い画質だった。2000年公開、と言われても違和感ない具合である。カメラマンは恐らく、ほとんどのシーンを手持ちで撮影しているから、不自然な手ブレも相まって、ドキュメンタリー番組のような生々しい質感がある。これを狙ってやっているのだとしたら、今後、更にリアルさを追求した「サメ退治ドキュメンタリー風サメ映画」の制作が期待出来るだろうが、登場人物の心情の不自然さなどを見るに、難しそうである。

タイトルの通り、雪の中を泳ぎ人を襲うサメが主役だが、舞台となっている街は特に豪雪地帯というわけではない。住宅地で10センチ程度、サメが主に潜んでいる森の中でも30センチ程度の積雪である。雪の中を泳いでいる、というよりかは、地表面に雪がある場所なら移動できる、の方が正しい。いつか、北欧のように本格的な豪雪地帯で、数メートルの雪の壁から飛び出すサメの姿を、見てみたいものである。

 

「スノーシャーク」の最も良いのは、邦題のサブタイトルである。「スノーシャーク/悪魔のフカヒレ」。サメ映画に「フカヒレ」という日本固有の単語を選ぶセンスに脱帽する。作中でも、字幕で「今夜は『フカ』酒だな」なんてジョークが飛び出すのだが、英語では何と言っているのだろうか。ちなみに、原題のサブタイトルは「Ancient Snow Beast=古代の雪の獣」。作中でフカ(サメ)のヒレが注目される事は一度も無い。

 

久しぶりのサメ映画は、こんな具合であった。サメ映画というジャンルの魅力に、ふたつ、「必ずサメが出てきて人が食われる」という安心感がある。何十年も変わらない形式の中で、どれだけサメを恐ろしく描けるか、どれだけ新しいストーリーを作れるか。

これからのサメ映画鑑賞が楽しみである。プライムビデオのウォッチリストには、まだ10本近くのサメ映画が残っている。

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「ハウス・シャーク(2018)」を観た【サメ映画レビュー】

フランケンジョーズ」以降、GYAOでは新しいサメ映画の配信がぱったり途絶え、「遂に不評なのが運営にバレてしまったか」と焦りかけたが、こっそり追加されている作品があった。

「ハウス・シャーク」。サメ映画にしてはだいぶ強気、2時間の超大作である。

 

 

結論の結論から言うと、チープさ・演技の下手さ・尺の無駄使い、全てが揃った「完璧過ぎるベストオブ・クソサメ映画」であった。他にもクソサメ映画は沢山あるが、こちらは2時間あるので次元が違う。

 

「ハウス・シャーク」のタイトル通り、サメは終始家の中でしか登場しないため、いくらアメリカの家が広いとはいえ、必然的にサメが大写しになるシーンが多い。

ので、サメはたいそう大掛かりな「工作」で作られたと見られる。アップになる度に背びれの「粘土感」が生々しい。

 

一番面白かったのは、全然サメと関係ない場面。「サメが出る家を売ろうと企む不動産会社の社長室」にある「創業者の蝋人形」である。

博物館にあるような、本物の人間そっくりの人形が置かれているのだが、何回見ても「本物の人間」なのである。「本物のおじさんそっくりの蝋人形を演じるおじさん」のカオスさに、本編で一番感心したシーンとなった。

 

2時間の中で面白いことと言えばこれくらいで、そのほか意味不明かつ長ったらしいストーリーをやり過ごすため、スマホ片手に何とか暇を潰しながら耐えていたが、2時間近くあれば充電も切れてしまう。結局、後半3分の1は虚無画面を凝視する羽目になった。

 

で、2時間引っ張ったラストはどうなるのか。

大まかにはジョーズと同じ、「サメの口に爆弾を入れ、撃って爆発させる」のだが、クソ映画なので、そうそうシンプルにはいかない。

ラストは、サメに喰われかけたアル中のおっさんが「俺を打て!俺の血液はほとんどウイスキーだから、引火して爆発するだろう!」と叫び、真に受けた主人公が発砲。サメは大爆発を起こして家ごと木っ端微塵になり、めでたしめでたし、である。

ひとつも理屈が通っていないし、特に迫力も無ければ爽快感も無い。

 

ちなみに、アル中のおっさんも主人公も生きており、エンドロールでは荒地となった家の跡地で、生首だけになったおっさんとジョークを交わしながら、吹っ飛んだおっさんの四肢を拾い歩く主人公を観ることができる。

 

 

調べてみれば「ハウス・シャーク」はクラウドファンディングで作られた映画らしい。

「目標金額を脅威の1150%超え」なんて書かれているから、「そんな大金が集まったのに何でこうなった!」と思ったら、そもそも目標金額は10万円ちょっとで、うっかり200万集まってしまったとのこと。お年玉で映画を撮ろうとしていたのかな。

 

「ハウス・シャーク」は、「ポテンシャル10万円の人間に200万円使わせた結果」を観る映画でした。

興味のある方は是非。

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「フランケンジョーズ(2016)」を観た【サメ映画レビュー】

※冒頭から「サメのような形の巨大モンスター」が登場するが、中盤以降は手足が生え歩き出します。うっかり「サメ映画」と信じて観始めると混乱するので注意。

 

サメ映画には、CGも演出も凄い、とんでもなく面白いものと、CG・演出・カメラワーク・シナリオ・演技、全てが低レベルなクソ映画の2通りしか無いのだけど、この「フランケンシャーク」はどちらにも当てはまらない、大変珍しいタイプでした。

メインであるサメは、「言われてみればサメかもしれない」くらいの見た目なのだけど、だからと言って他のクソサメ映画同様、飛び抜けて出来が悪いとか、全くリアルじゃないとか、全然画面に映らないという訳ではない。初めて見るタイプの気持ち悪い見た目で驚きがあるし、特撮の敵と同じくらいのクオリティではある。

実際、冒頭シーンでサメがアップになった瞬間、びっくりして吹き出してしまった。問題なのは、サメ本体の出来に反して、それを動かすCGが全くの素人レベルというところで、これは確かにZ級と言われても仕方が無い。

 

ストーリーは、「フランケンシュタインの研究をしていた科学者が、不死身の最強人間を作る為に先ずはサメで実験してみた」だと思うが、一応、筋も理屈も通っているし、ガバガバになりがちな部分は、登場人物達が科学者に質問してくれるので、疑問は綺麗に解決される。

冒頭で説明した「中盤から手足が生える」のも、「なぜ生えたのか・なぜ陸を目指したのか」がハッキリしているので、ただただ感心して観ていられる。

 

レビュー欄には「ゴミ」「5分が限界」等々、辛辣なコメントがずらりと並んでいるが、今一度、最後まで観た上で「これは本当にクソサメ映画なのか」と考えてみて欲しい。

他には無いサメの設定・見た目、考え込まれたストーリー、船長が終始着ているJAWS Tシャツ。

企画チームが、いかにサメ映画を愛し、新しいサメ映画を作ってやろうと情熱を注いだのか、細部から痛いほどに伝わってくる。

 

他の映画人から軽蔑されたかもしれない。

「フランケンシャークなんて馬鹿げている、もっとまともな映画を撮ったらどうだ」

そんな事を言われても、「未だ誰も見たことがないサメが人を喰うシーンを撮りたい」、その情熱だけで何十時間、何百時間と内容を詰めに詰めて、ようやく映画としての形に作り上げた。

技術スタッフも役者陣も、初めて映画を作る人間ばかり。出してみれば世間の反応は最悪。Z級のレッテルまで貼られた。サメ映画への愛と情熱を使い果たした企画チームは思っただろう。

「ユニバーサル・スタジオに入社したい」と。

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9月11日(腹痛とナイスサメ映画)

ここ最近、毎朝腹痛に見舞われている。原因は明らかで自業自得なのだけれど、ほぼ毎日食べているアイスである。

高校生までは、アイスや冷たい飲み物を飲み込んだ瞬間から、情景反射のように腹痛を起こしていた。

それがだんだん治ってきて、冷たいものを冷たいまま食べられるようになったのだが、ここに来てまた、身体が拒絶し始めている。

スーパーカップとMonsterエナジーをこよなく愛する私にとって、この副作用はとても辛い。

 

 

久しぶりに、クオリティの高いサメ映画を観た。2011年公開の「シャーク・ナイト」である。

 

サメに人を襲わせ、その映像を高く売る悪い人達に、バカンス中の大学生達が巻き込まれる話だ。

サメが主人公と言うより、人間関係やサスペンスが主軸なのだけど、しかし、サメのクオリティが異常に高かった。

 

物語が現実的だから映像も終始リアルで、それに溶け込む、まるで本物のようなサメは、昨今量産されている「サメもどき」とは一線を画している。

しかも、ホホジロザメだけでは無く、ホホジロザメに次いで危険なオオメジロザメやイタチザメ、見た目の違うシュモクザメ、身体は小さいが群れを成して襲うダルマザメ等、様々なサメが登場する。それぞれのサメごとに喰われるシチュエーションも違うので、他のサメ映画では見たことのない映像が楽しめるのである。

 

クソサメ映画も最高だが、たまにはこんなサメ映画も、悪くない。

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