アズサてやんday

by azusa chan

8月4日(公衆電話と恋愛)

郊外にある駅のホームで、単体で立ち尽くす公衆電話に出くわした。道路沿いの公衆電話はボックスに守られているし、都内の公衆電話は何台かでまとめて壁に並べられている。それが公衆電話単体で、何にも守られずに、ホームの真ん中に立っているのだ。田舎者は根性があると言うけれど、こんな所にまで表れるとは。便利な都会でぬくぬく群れを成す連中には到底真似出来ない芸当である。そして、いちいちそういう理屈付けをする自分に白眼を剥く。

 

「恋愛」と言うけれど、「恋する」と「愛する」は別問題である。「恋」とは "自分にアレコレをして欲しい・こうなって欲しい" という自分の欲望であって、対して「愛」は相手の為に尽くす行動だ。ゆえに「恋する」は誰にでも出来うるけれど、「愛する」は元から出来るものでは無い。「恋」をしたからと言って必ずしも相手を「愛する」ことが出来るとは限らないのである。欲望を欲望の形のまま伝えることが「愛」だと勘違いしている人間をストーカーとか変態と呼ぶ。「愛する」とはもっと手の込んだ事である。自分の欲望を無視してでも相手に尽くそうとする、ある意味自己犠牲であって、尚且つ本人は自己犠牲などとは微塵も考えていない。恐ろしい奴らです。私は「恋する」は出来たけれど「愛する」はこれから先も出来そうにない。自分の欲望しか生まない愚かな人間には、どうにもならない事なのである。