アズサてやんday

from rokujoma

阿呆論(馬鹿)

響きに、より皮肉が感じられるからという理由だけで、"馬鹿" より "阿呆(アホウ)" を気に入っている。"馬鹿" は濁音だからか、暴力的で正直な罵倒だけれど、"阿呆" は、大して相手にせずに、薄らスカした感じである。好き嫌いはさて置き、どちらも意味合いに大した違いは無いだろう。

 

【馬鹿】

知能が劣り愚かなこと。また、その人や、そのさま。人を罵っているときにも用いる。あほう。…

デジタル大辞泉

【阿呆】

愚かなこと。愚かな人。また、そのさま。人を罵るときにも用いる。あほ。…

デジタル大辞泉

 

相手の無能を貶す際に、馬鹿だの阿呆だの言うが、そもそも無能とは何か。生きていく上で、知識よりも知性が重要だということは、20代にもなれば分かることで、知性というのは所詮 "自分で考える能力" であって、理数的に組み立てていく人もいれば、感覚的に物事を認識していく人もいる。

 

4・5歳の頃、勉強ワークなど見たことも無く、独りで絵を描き散らかしていた私に、母が新聞に載っていた "小学校お受験の例題" を解かせてみたらしい。シーソーの絵が描いてあり、「ウサギさんは誰々より軽い、パンダさんは誰々より重い、ワンちゃんは誰ソレより…」といった調子の、よくある文章題である。「誰が1番重いでしょう」と尋ねると、私は「パンダさん」と即答した。一瞬で正解した私に驚いて理由を聞くと、私は笑顔で「1番太ってるから」とのこと。

このエピソードを聞いてから、私は自分のことを天才だという事にしているのだけども、それはともかく、果たして、知性とはそんなものである。才を決めるのは知識では無く知性であって、知識は覚えなければ身に付かないけれど、知性は自然に育まれるもので、故に優劣見極めるのは至難の業である。さっきの例題で「太ってるから」を無能と見做すことも出来るし、だからと言って、論理的な正解に辿り着くには「1つずつ比較して解く」方が確実という知識を知っていたか、ただそれだけの事で、私より知識野が少し広かったかどうかの違いだけである。私が自分なりの正解方法を見つけたのは、4・5歳の知性に他ならない。

 

SNSで人のコメントに、馬鹿だの無能だの言う人がいるけれど、深呼吸して、一歩下がって眺めて欲しい。無能にも見えるその人は、たまたま自分の知識野より狭かったり、違かったり、それだけの事であって、知性が劣っているかどうかを見分ける術は、無いはずである。

第一、たかが数十年生きただけのキサマが、人間を見て馬鹿だの無能だの批評して、それこそ、限りなく阿呆の所業ではないか。

馬鹿、阿呆、どちらも、景気付けに独り寂しくふかすくらいが、丁度良い。